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2006年8月31日 (木)

アウトプットの記録 論文

うちで開発した高濃度ホウ酸ナトリウム水溶液の作製技術を論文(paper)にまとめて投稿していたのだが、先週、金曜日にaccept(受理)の通知が届いた。木材用の不燃剤として既に実用化した高濃度ホウ酸ナトリウム水溶液の基本的な調製技術に関してまとめたものである。

"Preparation of Highly Concentrated Aqueous Solution of Sodium Borate."

Inorg. Chem. Commun. (Inorganic Chemistry Communicationsの略)

Isao Tsuyumoto*, Tokokazu Oshio, Kenji Katayama

上述の雑誌は2005年のImpact Factorが1.826だから、良い部類に入るジャーナルである。

実はこれよりも、格上の別の雑誌にLetterとして投稿したら、Refereeが「11BoronのNMRスペクトルをとってからFull Paperとして再投稿することを薦める」などと審査結果を書いてきたので、それには対応せずに、投稿しなおしたものであった。

Refereeによって指摘するポイントが異なるのはよくあることだが、Inorg. Chem. Commun.は比較的すんなりと審査が進んで、Refereeの一人は"In summary, this is a good and fascinating subject. The evidence presented in this paper has reached the level of a journal publication."と書いてくれていた。

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アウトプットの記録 特許

私が発明者となっていた特許が成立したとのことで、出願人から特許査定の通知が届いた。先週の木曜(8月24日)のことである。

発明の名称:表面張力・界面張力測定のためのレーザー散乱法及びその装置

出願人:独立行政法人科学技術振興機構(出願時は科学技術振興事業団)

特願2000-278975、特開2002-090281、出願日2000.9.14、公開日2002.3.27

発明した時期が微妙なこともあって、出願人は勤務先でなく、公的なところになっている。レーザーを使って、表面張力・界面張力を測る方法(準弾性レーザー散乱法)を、簡便化する技術の特許である。そのエッセンスは下記の通り、Analytical Chemistryにも、報文としてまとめてある。

"High-performance and Simplified Quasi-Elastic Laser Scattering Method Using Homodyne Detection in Beam Divergence." Isao Tsuyumoto, Hiroshi Uchikawa, Anal. Chem. 2001, 73 [10], 2366-2368.

特許査定の文面は「この出願については、拒絶の理由を発見しないから、特許査定する」と、いかにも法務的、役所的なものだと知った。

特許成立までに2回、それぞれ独立した内容の拒絶理由通知が届いたが、いずれも請求の範囲を減らせばクリアできる内容であった。

第1年分~第3年分まで特許料55,500円の納付も済ませてあったので、後はライセンス先などを開拓することになる。

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2006年8月30日 (水)

ウィトゲンシュタインにインスパイアされて

と書くと大げさだが、何か哲学的なことを思いついたのではない。正確に言うと、ウィトゲンシュタインの研究者に示唆されたのである、と言っても大げさか。ウィトゲンシュタインの書き残したものには、すべて後世の研究者によって、アルファベットと番号が振られて整理されている。手稿MS101~MS183、タイプ原稿TS201~TS245、口述原稿D301~D311と言った感じである。

これは便利だと思い、自分の書いたものすべてにアルファベットと番号を振ることにした。メモを散逸させてしまうことの多かった私はメモ用紙やルーズリーフでなく、できるだけ、綴じられたノート類に書くことにした。

例えば、E8-78参照とメモすれば、E8と書いた実験ノートの78ページを意味するので、整理に便利である。

書き残したものの記録は非常に重要である。実験ノートを保管しておかねばならないのはいうまでもないが、実験・打ち合わせなどの記録が特許裁判などの有力な証拠に採用されることもあるので気が抜けないのだ。

で、以下は自分用の整理リスト

実験ノート(アルファベットE A4版の200頁のコクヨ補助帳)

E3 1999/4~2001/3/3、 E4 2001/3/5~2001/3/26、 E5 2002/3/27~2002/9/24、 E6 2002/9/24~2003/9/26、 E7 2003/9/17~2005/1/25、 E8 2005/1/27~

ノート(アルファベットN B5版のキャンパスノート)

N1 2000/7/1~2001/3/22(主にセミナー)、 N2 2001/3/22~2003/6/5(主にセミナー)、 N3 2001/3/28~2003/9/5(セミナー、打ち合わせ、立会い実験)、 N4 2003/9/8~2004/5/15(主に取材、打ち合わせ)、 N5 2003/9/22~2004/7/27(主に打ち合わせ)、N6 2004/6/22~2005/4/28(XPS実習、打ち合わせ)、 N7 2005/6/14(SEM&EDX使用法)、 N9 2005/12/19~(主に不燃関連出張実験)、 N10 2006/3/14~(主にセミナー)、 N11 2006/6/26~(セミナー、打ち合わせ)

講義ノート(アルファベットL B5版のキャンパスノート)

L1 専門実験・演習、 L2 環境分析化学、 L3 無機化学1、 L4 化学コンピュータ演習、 L5 無機化学1、 L6 電気化学

メモ帳(アルファベットN A6サイズのミニノート)

M1~M4 2002年、M5~M6 2003年(一部2002年)、M7~M8 2004年、M9~M11 2005年、M12~M13 2006年

自分のメモ・ノートは書く量が限られていることもあって、比較的整理が楽である。

目下の悩みの種は、半永久保存の必要なA4サイズの書類の整理である。紙のフラットファイルだったり、ごついチューブファイルだったり、リングファイルだったり、クリアファイルだったり、封筒に入っていたり、あれはどこにやったかなと探すに苦労している。

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ルービックキューブと群論

久しぶりにルービックキューブを手にした。大流行したのは1980~1981年。今から25年前である。

結晶学における一連の空間群の話を思い出して、ルービックキューブは「群論」を使えば、解けると直感したことがあった。化学者が思いつくようなことを、数学者が思いつかないわけはなく、『数学セミナー』の1981年8月号に既に「ルービック・キューブで群論を学ぼう」が特集されていた。うちの図書館に『数学セミナー』のバックナンバーがあったので、調べてみた。夏休みの道楽である。

まず、通常の3×3×3タイプのルービックキューブの組み合わせは何通りあるかを考える。

ルービックキューブは

 辺央(辺の中央)にあるパーツ(2面に色シールがある) 12個

 頂点にあるパーツ(3面に色シールがある) 8個

 面心(面の中心)にあるパーツ(1面に色シールがある) 6個

から成っている。

もし、ルービックキューブを回転させるのではなく、キューブを機械的に解体し、パーツごとにバラバラにして、もう一度、組みなおす場合、できる模様の種類が何通りあるかは、高校の数学の範囲で簡単にもとまる。面心は動かないので、上記の辺中央、頂点をそれぞれに分けて模様が何通りあるかを考えて、それを後でかければよい。

 辺中央の配置は何通りあるか: 12個を順に配置する並べ方に加えて、12個それぞれについて色の入れ替えが2通りあるので、

   12!×2^12通り ・・・(1)

 頂点の配置は何通りあるか: 8個を順に配置する並べ方に加えて、8個それぞれについて色の入れ替えが3通りあるので

   8!×3^8通り ・・・(2)

(1)と(2)をかけたものが、いったんバラバラにパーツをはずして組みなおすときの配置の数である。

ここまでなら高校数学だが、キューブを機械的に解体するのではなく、6面そろった段階からまじめにカチャカチャ回転させて、到達できる配置の数は上の(1)×(2)よりも少なくなる

ルービックキューブの6面を完成できる人なら、経験上、知っている人が多いが、辺中央のパーツがひとつだけひっくりかえった状態(6面完成した状態から見て、1箇所だけ色が入れ替わった状態)は、6面完成状態から、回転操作では到達できないのである。到達できるできないの判断になると群論が登場する。

辺中央部に関して、色が入れ替わっている数の合計は偶数でないと、6面完成状態から到達できないのである。これを第1パリティ則といい、この規則は群論で導ける。色が入れ替わっている数の合計が奇数の状態は、到達できないので、ここで到達できる配置の数は(1)×(2)の半分になる。

さらに、頂点部については、色が入れ替わっている数の合計が3の倍数でないと、6面完成状態から到達できない。これを第2パリティ則という。だから、到達できる配置の数は上のさらに3分の1となる。

さいごに、忘れがちであるのだが、頂点部の2か所を入れ替える操作をすると、どうやっても必ず辺中央部の2か所も一緒に入れ替わってしまうことが知られている。このため、さらに、残りの半分はカチャカチャ回す回転操作では到達できないことになる。

結局、6面完成状態から回転操作で到達できる配置の種類は

12!×2^12×8!×3^8/(2×3)/2

=43,252,003,274,489,856,000 通り

となる。

余談だが、市販のルービックキューブでは面心部のパーツの向きがどうでもよくなっている。たとえば緑色の面心部のパーツで、崩す前は白色側にあった辺が、崩した後、もう一度完成させると青色側に来ているということもあるらしい。つまり、崩す前、全部のパーツに文字を書いておけば、完成後、面心部に書いた文字だけ向きが違うこともあるということだ。数学的には、面心部のパーツの向きまで含めて考えた方が洗練されたものとなるらしい。

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2006年8月29日 (火)

「環境リスク学」に関する雑感

『環境リスク学』(中西準子著、日本評論社刊)を精読した。同書は縦書きの本なので専門家向けというよりは、専門外の人に向けて書かれた本であろう。

リスク学は主に「○○をすることによって、平均寿命がどの程度減るか」を計算する学問である。平均寿命の増減だけでなく、QOL(Quality of Life)も含めて評価したいという部下の研究者の申し出に対して、それを禁止してきたというくだりには感銘を受けた。

「健康体として、あと1年の寿命があるのと、盲人としてあと2年生きるのとでは、どちらを選びますか」という質問が欧米の文献から引用してあったが、確かにこれを評価するのは学問ではない気がする。

しかし、本来のリスク学にも、疑問に思ったところがある。

一人の人命を救うために1000万円の税金を使うのは妥当だが、100億円では高すぎる(非現実的)というくだりがあった。リスク学では、本来的に人命を金銭的価値に換算しなければならないのか。これはやむを得ないのか。

さらに以下は前から思っている私見。

評価方法はいわゆる「期待値」(=確率×悪影響)の大小でいいのか。期待値である以上、確率が、極めて小さくて、悪影響が極めて甚大な場合と、確率が普通に小さくて、悪影響が普通に大きい場合が同じ数字となってしまう。

たとえば、確率は10万年に1回だが、それが起きると人類が滅亡につながるという事柄の場合と、1年に1万人が死亡するレベルの事柄(国内の交通事故がこれに相当)は期待値がほぼ同じである。これを同じと評価して、いいのか。人類が滅亡の方を避けるべきではないのか。

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環境リスク心理学

「環境リスク学」では中西準子先生が有名であるが、「環境リスク心理学」についてははじめて知った。

今日の朝日新聞(2006年8月28日付朝刊)に「環境リスク心理学」の紙上特別講義が掲載されていた(中谷内一也帝塚山台教授による)。「環境リスク学」があるなら、「環境リスク心理学」があってもおかしくないわけだ。

米国産牛肉の輸入再開問題が例として取り上げられていた。

リスクは、その事象が起きる確率と、その事象がもたらす悪影響の大きさをかけあわせて評価される。悪影響の「期待値」のようなものを考えるわけである。タバコなら、タバコをすうことによって平均寿命がどれくらい縮まるか、放射線なら被曝量と発がん率の関係などを計算することができる。

しかし、一般人は、リスクの専門家とは違って、常に何かのリスクについて考えているわけではないから、リスクについて正しく認識しているわけではない。だから、イメージが先行して、実際よりも怖がりすぎたり、怖がらなすぎたりすることがある。これらをそれぞれ「恐ろしさ因子」、「未知性因子」というそうだ。

人間はすべて合理的に考えて行動しているわけではないことを前提として、考える経済学があったが、それの環境版というところだろう。

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2006年8月28日 (月)

安全対策と言霊思想

今日の安全工学の講義、出席チェック用のクイズ(小テスト)で次のような問題を出した。

引火しやすいジエチルエーテルを使用するに当たって、次のうちどちらが適切か?

(ア)「引火すると燃え広がって火事になる」などと口に出して発言すると縁起が悪いので、そのようなことにはできるだけ触れないように取り扱う。

(イ)引火した場合、焼け死ぬ可能性があることも含めて、全員に注意を徹底する。

正解はもちろん(イ)なのであるが、(ア)を選ぶ学生が意外と多かった。

日本には古くから、災害・事故など縁起の悪いことを口に出すと本当に起きるかもしれないという一種の迷信がある。いわゆる言霊思想である。しかし、一般的に安全対策は「縁起の悪いこと」を口に出さないと行えないものである。

起こるかもしれない事故・災害の対策を前もって行わなければならないときに、この迷信ぽい考え方(言霊思想)が、妨げになっている気がしてならない。

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本日よりブログ開設しました

忘れてしまいがちなアイデア、気づき、出来事、資料などのもっとも有効な整理法は、自分のためだけに記録、整理するのではなく、他人にも読める形でアウトプットすることのようです。主に自分用のメモ・ノート代わりのつもりでブログを開設しました。酔狂な方はご覧ください。

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