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2006年10月29日 (日)

立会い出産の記録

私こと、先週末10月22日(日)午後7時10分に長男が誕生した。タイミングよく、立ち会い出産できたので、その記録を記す。

出産前日の21日(土)は東京に用があって、小松空港20時40分着のANA最終便で戻ってきたばかりであった。眠る前、妻は前駆陣痛らしき軽い痛みを訴えていたのだったが、熟睡中の午前2時半頃、出血などの異常を訴える妻の緊張した声で起こされる。病院に連絡をとって、自家用車で病院の救急外来から産婦人科へ。胎児心音と子宮収縮モニターを装着したが、胎児の心音に異常はなく、一安心。午前4時に消灯となり、このまま出産になるのかどうかわからないので、私はいったん帰宅して睡眠。妻は陣痛室で夜を明かす。このとき、子宮口の開き4cm

22日(日)「午前6時23分 4分間隔で痛み、午前10時32分 6分間隔で痛み」とメールで連絡。どうなるんだろうと悠長に構えていたら、午前10時52分、「生まれそうやて」と本人より電話連絡。あわてて病院へ向かう。午前11時22分病院着。

午前10時頃、診察を受けたら、子宮口が9cm開き、破水していて、このまま出産になるとのことだった(※実はこのとき破水してなかったことが後でわかった)。ブドウ糖の点滴も開始(25g/500mL, 100kcal/500mL)

午後1時半ころまで5分間隔で陣痛。診てもらうと、胎児が少し斜め気味に下りてきている、まっすぐになってないようなことを言われ、4つんばいになって位置を直すことに。ベッドの上で4つんばいになり、尻を高くして、頭を下にした姿勢をとり続ける(約1時間)。この頃から本格的に痛み出し、腰を一生懸命さすってやることになった。「たまごクラブ」なる雑誌には、陣痛のとき、肛門周辺が痛むので、痛みを和らげるためにテニスボールで押さえるとよいと書いてあったのだが、陣痛室には、そのための硬式テニスボールとゴルフボールが置いてあった。ボールよりも指の方が具合が良いようである。

午後4時には陣痛の間隔が約2分に。午後5時頃に分娩室に一緒に入った。入室時にはディスポーザブルの上衣を着用し、手をエタノールで消毒。

10月22日は朝から出産が多かったらしく、妻で4人目だったらしい。関係あるかわからないが10月22日は新月である。

分娩室に入ったものの、まだまだ時間がかかりそうなので、陣痛室と同じ体位で横になる。助産師さんが一人付いてくださった。陣痛センサー(筋肉の収縮の大きさをモニターする装置)を装着しているが、数値の大きさとその時間間隔を見る限り、まだとのことだった。陣痛の間隔が短くならないと出産にならないのである。陣痛時、痛みの緩和のために肛門周辺を押さえていると、いきみとともに出そうになる胎児の膨らみが感知できた。

午後6時頃、ご主人はいったん分娩室を出てくださいといわれる。出産に向けた本格的な処置をされたようだ。まだ破水していなかったことがわかったので、このとき人工的に破膜された。破膜の後、陣痛センサーは100以上の目盛りを振り切る値を示しだした。

再び、分娩室に入ると、妻は鼻に酸素チューブを入れられ、出産できる体位になっていた。陣痛が来るたびにいきんでくださいといわれ、いきむたびにだんだんと胎児が下におりてくる。いきむ方向も指示されていた。いきむのは1回の陣痛で2回。いきむと酸素不足になるため、胎児の心拍数が二桁まで下がるのだが、2回続けていきんだ後、深呼吸すると胎児の心拍がみるみる120~180の範囲に回復する。「深呼吸すると胎児の心拍が回復するんよ」と伝えると、妻は意識して深呼吸するようになった。鼻にチューブ入れてるから、口じゃなくて鼻で呼吸しないとあまり意味がないのだが、鼻がつまって大変だったようだ。妻は腰が痛いと訴えるので、腰の下の腰椎~仙骨のあたりに手のひらを入れて支える。出産までこの体勢をとったので、左の手のひらはかなりしびれた。

そろそろ先生を呼ぼうかと助産師さんが言い、ドクター、看護師、助産師の3人態勢に。医師は陣痛モニターを見ながら、冷静であった。我々にとっては非日常の出来事でも、医師にとっては日常的な出来事の一つなのだろう。

18時過ぎの陣痛でいきんだところ、胎児の頭がはさまった状態でとまった。次の陣痛で出そうねということになり、次の陣痛でいきむと頭の先が出て、もう一回いきむと頭が半分以上出た。このときだけ特別に3回続けていきみ、頭が全部出た

頭が出た後は、いきんで出すというより、助産師さんとドクターが引っ張り出すという印象だった。今度は「いきまないで」といわれ、「フッ、フッ、ハー、フッ、フッ、ハー、・・・」と言いながら、赤ちゃんの体が全部取り出された。赤ちゃんは体が全部出てきたのと同時にオギャーと声をあげ、同時にドクターが細いチューブを赤ちゃんの口と鼻に当てて詰まっているものを吸引除去した。赤ちゃんの泣き声は思ったよりも小さい声で、しかもずっと泣いているわけではなくて、すぐに泣きやんだ。そういうものだなと思った。

赤ちゃんはそのまま母親の胸の上に載せられ、しばらくじっと寝ていた。

産後の処置があるので、ご主人は外で待ってくださいといわれ、分娩室を出た。

37週と1日目、3264グラム、身長51cm、頭囲35cm、胸囲30cm。この週数としては上限に当たるビッグサイズらしい。あと2日早ければ、記録上は早産となってしまうという話であった(早産といっても3000グラム以上あったわけだが)。

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