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2006年11月29日 (水)

ポロニウム210

不審死したロシアの元スパイの体内から、ポロニウム210(210Po)が検出された事件。

ポロニウム(Po)という元素をこういう形で目にするとは思わなかった。周期表では右下だ。無機材料化学の分野では、「単純立方格子」(単純立方充填構造)という結晶構造をとる物質として登場する。単純立方格子というのは、単位格子の立方体の頂点にだけ、原子があるという最も簡単な結晶構造である。無機材料の結晶構造を学ぶとき、一番最初にこの構造が出てくるが、この簡単な構造をとる物質が極めて少なく、ポロニウムだけが例として出てくるのだった。単純立方格子をとる単体は存在しないと誤って記述している本もあるくらいだ。低温で安定なαーPoが単純立方格子(格子定数3.345Å)をとる。

放射性物質であるポロニウムは、キュリー夫妻によって天然の鉱物中に存在するのを発見されたのが最初であるが、現在はビスマス209(209Bi)に中性子線を照射することによって製造されている。

ビスマス209(陽子83個、中性子126個) 

↓  中性子照射(原子核に中性子を1個加える)

ビスマス210(陽子83個、中性子127個)

↓  β崩壊(電子1個の放出とともに、中性子1個が陽子1個に変わる)

ポロニウム210(陽子84個、中性子126個)

中性子を照射できる場所は、地球上では原子炉しかないので、原子炉がないと製造できない。

天然の鉱物から分離するとしても、ピッチブレンドというウラン鉱石の1種が原料として必要になるし、分離手順もかなり煩雑である。そもそもピッチブレンド1トンから0.1mg以下しか分離できない。(※はじめピッチブレンドのところを間違えて、ジンクブレンドと書いていました。ジンクブレンドは別の鉱物です。訂正します)

ポロニウム210は半減期138日で、α線を放出して崩壊する。α線の生体への影響を調べる線源として用いられることもある。

放射性物質の出す放射線にはα線(ヘリウム原子の粒子線)、β線(電子線)、γ線(波長の短い電磁波)がある。物理的なエネルギーが同じであっても、放射線の種類によって生物への悪影響の程度は違ってくる。中で最も生物へ悪影響を与えるのがα線である。γ線などと比べるとその悪影響の大きさは約20倍とされている(これをα線の線質係数が20であるという)。

ただし、α線はγ線などと違い、簡単に遮蔽できるという特徴があり、紙が1枚あれば、α線を遮ることができると言われている。

なので、α線の場合、体外からα線が照射されても、皮膚が被曝するだけで体内には届かないが、α線を出す物質(α線源)が体内に入ってしまった場合(内部被曝)は、健康被害が大きくなる。α線源が沈着した臓器がα線に侵されて、重大な健康被害を受けることになる。

単体のポロニウムは水に溶けないが、塩酸にはゆっくりと溶ける。単体のポロニウムを摂取した場合、胃酸で徐々に溶けて体内に摂取される可能性はあるが、その程度は人体実験でもしないとわからない。水に溶けやすい化合物の形で、摂取された可能性の方が高いと考えられる。

ポロニウムの検出は比較的簡単。α線という放射線を出すので、その放射線を測定することにより、ポロニウムを検出することができる。一般に放射性物質の検出は、放射線を測定すればよいので、比較的簡単である。

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2006年11月15日 (水)

6価クロムによる環境汚染 -フェロシルト事件からセメントまで

酸化チタンメーカーとして有名な石原産業の起こしたフェロシルト不法投棄事件。

当初、フェロシルトは廃棄物から製造した土壌埋め戻し材で、有害物は環境基準内に無害化されているので、土に埋めても問題ないという話であった。しかし、このフェロシルト、実際は基準を超える有害物を含んでおり、埋めた場所に重大な環境汚染を引き起こしていたのだった。土壌埋め戻し材と銘打って土に埋めたのが、廃棄物の不法投棄に当たるとされて立件された。

今回の事件が意図的なものかどうかは知る由もないが、同社は以前にも似たような環境事件を起こしている。1969年(昭和44年)に、pH 1.8の硫酸廃液を1日20万トン、1年以上にわたって四日市港に垂れ流し続けたとして、海上保安庁に摘発された。いわゆる「石原産業事件」である。『四日市・死の海と闘う』、『公害摘発最前線』(両者とも岩波新書 田尻宗昭著)に詳しい。

昔のミドリ十字といい、似たような事件ばかりを繰り返す会社が多いのは、なぜなのだろうか。

今回の事件、主に問題となっているのは6価クロムである。

重金属はそれがどんな化学状態をとっているかで毒性がまったく異なることが多い。6価のクロムは毒性が非常に高く、しかも水によく溶ける革をなめすのには6価クロムが使用されているイタリア製のやわらかい独特の風合いの革製の手袋を着用していたら、革表面と皮膚が直接接触する手首のあたりに発疹が生じたこともあった。これはなめしに使用したクロムが残留していたためであろう。そのような場合は手袋の使用をやめた方がよい。

一方、コンビニに行くと「クロム」という名前のサプリメントが売られている。これはもちろん6価のクロムとは異なり、人体に必要なミネラルとして、6価とは異なる化学状態をとったクロムだ。

他にも水銀の毒性は、体温計などに使われていた金属水銀と、水俣病で問題となったメチル水銀とでは桁違いに異なる(メチル水銀の方が危ない)。

ヒ素についても、日本でとれるヒジキにはヒ素の化合物が含まれているが、毒性のない有機ヒ素が中心である。しかし、シロアリ駆除に用いる無機のヒ素は猛毒である。

なので、毒性を考えるときは、重金属の濃度を測るだけじゃなくて、それぞれの化学状態別に濃度を求める必要が出てくる。このように化学状態別に濃度を分析することをスペシエーションと呼んでいる。最近の分析化学のはやりである。

クロムの話に戻る。

有害な6価のクロムを無害化するのは簡単で、日本の環境基準に照らすと、6価のクロムを3価に還元してやるだけで、環境基準をクリアできるようになる。ただ、環境によっては3価がまた6価に戻りかねないので注意が必要である。周りに酸化力をもったものがあるかどうか、pHが低いか高いかで、価数の変化が決まる。

セメントからも6価クロムは出てきている。

以前から問題になっているのだが、実は普通のセメント(標準ポルトランドセメント)にもクロムが相当量含まれている。これはセメント原料の鉱さいや炉材(高温に耐える炉を造るために炉材にクロムが混ぜてある)に、由来するものである。ある分析によれば、セメント中にクロムが合計58.4mg/kg、6価クロムが6.4mg/kg含まれていた。そういうことなので、土壌改良剤としてセメントを用いるときは6価クロムの溶出に気をつけるように通達が出されている(平成12年3月24日付建設省技調発第48号建設大臣官房技術審議官通達)。

私の研究室で、普通のセメントを用いてモルタルを作製し、粉砕した後で、溶出液の6価クロムの濃度を分析したら、0.1~0.5 mg/Lであった。環境基準(0.05mg/L)をゆうに超えてしまっていた。6価クロムを考えるとき、セメントの扱い方にも十分な注意が必要である。これは意外と知られていない。

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2006年11月10日 (金)

数学オリンピック参加者のその後

数学オリンピック参加者がその後、どのような職業に就いているか。そんな調査結果が文部科学省科学技術政策研究所から発表された。

理数系コンテスト・セミナー参加者の進路等に関する調査(リンク)である。

これを受けた新聞各紙の記事(10月21日前後)の見出しは「数学五輪の参加者、4割が<仕事に数学生きてない>」(日経)、「数学五輪の出場者、数学研究者になったのは1割以下」(朝日)、「研究者志望も実現は1割弱…行き場少ない数学エリート」(読売)であって、数学オリンピックにまで出たのに数学の研究者になる人が思いのほか少ないというニュアンスであった。

上記リンクの調査結果を読むと、新聞記事ではわからないいろいろなことが見えてくる。とにかく一次文献に当たるのが鉄則である。

今回の調査は日本数学オリンピック、全国高校化学グランプリ、数理の翼夏季セミナーの3つの参加者が対象だったのだが、数学オリンピック以外は記事ではノータッチだった。化学者としては、化学グランプリについても触れて欲しかったところである。

アンケートの回答を寄せた数学オリンピック国内予選通過者296名のうち、数学研究者になる人は新聞記事の通り1割以下であるが、その中の成績上位者である国際数学オリンピック出場経験者では大半が数学科に進学し、研究者を志している。

全国高校化学グランプリ出場経験者は理学部化学系、工学部化学系に進学する割合が高い。これは数学オリンピック出場経験者が数学科に進学する割合よりも高いようである。

以下は雑感。

数学研究者の道が狭き門というのは事実である。そもそも数学自体を研究できる場所は大学か、公的研究機関しかない。これが化学や応用物理と異なる点で、化学や応用物理の専攻なら、実用志向さえあれば、企業の研究者として十分活躍できる。しかし、数学そのものの研究者を雇う企業はほとんどない。

いわゆるオーバードクター問題、博士課程を修了して博士となっても、定職につけない問題がもっとも顕在化していたのが、理学部数学科であった(次に顕在化していたのが理論物理の分野)。産業と直結しない分野が就職難になるのはある程度やむを得ない面もあるが、国としてこういった基礎研究をサポートする姿勢も大切だろう。

私が高校生だったときも、「理学部数学科に進学して大学院まで出ても就職はない、数学が好きなら、工学部○○工学科に行けばよい」と進路指導されていたものである。理学部数学科の学生が自主的にやっていた学科紹介の企画でも「博士課程を出た後、十数年我慢すれば、助手になれるんですよ」と冗談か本当かよくわからない説明をされて、笑いを誘っていたこともあった。

数学の得意な人間が数学科に進学しないのはそれほど深刻な問題ではない。機械工学、電気工学、材料工学、建築工学、化学工学など多数ある工学の諸分野でも数学は多分に活用されるので、数学の能力を存分に生かすことができる。数学が必要なのである。

数学オリンピック参加者の2割が医学部に進学していると、それが問題であるかのように指摘されていたが、医師の能力も統計学、空間認識力、パターン認識力、論理的思考能力など数学的能力が必須であるように思える。

また、忘れてはならないのは、高校生で習う数学と、大学で習う数学は違うということである。

こんな話がある。

大学で習う生物は高校の化学っぽいことがたくさん出てくる。大学で習う化学は、高校の物理っぽいことがたくさん出てくる。大学で習う物理は、高校の数学っぽいことがたくさん出てくる。

では、大学で習う数学はどうなるのか?というと、哲学になる。

まあ、数学が哲学になるというのは極端な物言いだが・・・

大学の化学(物理化学、無機化学、分析化学、量子化学など)を理解するのに、高校の物理の考え方が必要なのは事実である。大学の物理を理解するためには、道具として数学がどうしても必要である。

高校で習う数学は数学IIIも含めて、すべて役に立つものである。ここで役に立つというのは日常生活でという意味ではなく、産業分野でという意味である。

では、大学の数学はというと・・・、大学で習う数学は大きく分けて2種類あり、主に工学部で教える役に立つ数学(応用数学)と、主に理学部数学科出身の先生が教える、どう役に立つのかわからない数学(純粋数学)である。

応用数学は、例えば波の時間変動をフーリエ変換すると周波数がわかりますよとか、行列を使うと連立方程式が解けますよとか、ラプラス変換を使うとなんと微分方程式が解けますよとか、ガウス平面を使って原点を一周すると積分値がエレガントに求まりますとか、なるほどこんな風に役に立つのかと、感動することもある(個人差はあるが)。

純粋数学は距離空間の定義だとか、点列コンパクトだとか、デーデキントの定理だとか、どう役立つのかピンと来ない概念を習うものである。大学1年生のときに、私のクラスを担当した先生(理学部数学科出身と思われる)は、点列コンパクトについて講義されていたが、結局なんのことやらわからなかった。私は高校時代、数学が好きだったが、純粋数学は嫌いになった。

高校範囲の科目を習っただけで、進路を決定するのは高校生にとって酷なことである。大学範囲の学問に少しでも触れる機会があればいいのにと思う。

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