西金沢駅付近散策
天気が良かったので、西金沢駅付近を散策してきた。子どもに電車を見せるのが目的であった。
JR西金沢駅は南側にしか出入り口がなく、そばに踏み切りや袴線橋があるわけでもないので、北側とのアクセスが非常に不便な状態である。駅北はJTの大工場や伊藤忠エネクスの敷地が線路にへばりついていて、北側にある住宅地とのアクセスを邪魔している。この西金沢駅周辺も再開発が進行中という話だが、駅前のコンビニはシャッターを下ろしてしまっているし、前は駅前の角地に居酒屋の「天狗」があったのだが、クロネコヤマトの宅急便に変わってしまっている。金沢近郊は、どうも鉄道の駅前が栄えないようである。
JR西金沢駅の南側には北陸鉄道(北鉄)新西金沢駅がある。80年以上前の1925年から新西金沢と新の付いた名前だという。JRのことを国鉄(こくてつ)と呼んだ時代には、北鉄(ほくてつ)は発音上、国鉄と非常に紛らわしく、駅名だけでも新を付けて区別したのだろう。
北陸新幹線が金沢まで開業したときには、新幹線の車両基地は松任に作られることになっていて、その車庫振りのための線路が金沢・松任車両基地間に敷設される予定である。その敷地が既に確保されていた(左写真、2007年4月29日撮影)。この上に車両基地に向かう新幹線が通るのだろう。この敷地は、北陸鉄道で使用する車両がJR経由で輸送されるとき、渡り線が臨時に作られる場所でもある。左側に見えるのが北鉄新西金沢駅そば(押野側)の有名な急カーブ。制限速度15キロの標識がある。自転車並みである。映っていないが右側がJR。
左写真は駅前の踏み切りから北鉄新西金沢駅を撮影したものである。実は別のHPでここの写真を見てから、ずっと気になっていて自分の目で確認したかったのだった。その別のHPの写真とはこれ(新「石川の鉄道」新西金沢駅構内)である。線路の曲率が不連続、微分不可能であり、本当によく脱線しないものだと思った。今日の写真を見る限り、危ないという指摘でもあったのか、微妙に軌道が修正されたようである。リンク先の写真と比べると、字の下手な人がなぞって修正したような妙な曲線に変わっている。また、同駅構内の反対側のポイントでは積雪時に脱線事故が起きたが、けが人はなかった(2004年1月22日、航空・鉄道事故調査委員会 鉄道事故調査報告書RA2005-3)。
北陸鉄道新石川線の古い車両に乗っていると、直線区間でよくヨーイング、蛇行動をしているのを感じて、不安に思うことがある。上下、左右に本当によく揺れる車両である。それほど高速で走るわけではないから大丈夫なのだろう・・・。たぶん。
北陸鉄道新石川線の現在の営業区間は野町・加賀一の宮間15.9kmである。以前は加賀一の宮から、さらに奥の「釜清水」を通って、「白山下」まで延びていたのである。今でもJR西金沢駅の乗り換え案内には「北陸鉄道白山下方面」などという表示が出ている。「白山下」と言っても、白山の登山口には程遠い、今の花ゆうゆうよりは奥、かんぽの宿よりは手前のあたりである。国道157号とは手取川を挟んで反対側を走っていたらしい。私と同世代の旧鳥越村の高校生は電車で工大周辺まで通学していて、野口五郎の『私鉄沿線』の歌詞を自分に重ね合わせていたという。私などが『私鉄沿線』で思い浮かべる情景は小田急や東急沿線なのだが・・・。松本清張原作の映画『ゼロの焦点』(松竹1961年)にも、昔の北陸鉄道「白山下」駅が登場している。
白山下・加賀一の宮間が廃止されたのは、手取川にかかる鉄橋の橋脚を支える岩盤に亀裂が入り、危険な状態になったからである。1984年12月に休止されて、そのまま再開することなく廃止された。利用者が少なく、橋脚整備の予算が賄えなかったことと、並行する幹線道路が整備されて、バスが便利になったからである。
はっきり言って、北陸鉄道のスピードは遅い。自家用車で北陸鉄道と同じ方向に向かうとき、タイミングが悪いと電車と抜きつ抜かれつとなってしまい、何回も踏み切りに引っかかってしまう。西泉から金沢工大に向かうとき、西泉の踏み切りで待たされたかと思うと、野々市本町の踏み切りで同じ電車を待つことになり、工大横の踏み切りで三たび同じ電車を待つことになるのだった。
北陸鉄道石川線などは路面電車化、LRT化して、都心にもアクセスさせる方が絶対によいのだけれども、行政は金沢周辺の公共交通機関の整備を放棄している感があり、北鉄バスで十分と考えているようである。行政は、北鉄バス(初乗り200円)に助成金を出しているという。金沢に新しい軌道系交通機関が導入される日は来るのだろうか。
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