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2007年8月22日 (水)

JAL123便墜落事故の追憶

1985年8月12日、私は理系に進路を決めた高校2年生の夏休みであった。

夕刻、自宅でNHK7時のニュースを見ていると、最後になって、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機の「機影がレーダーから消えました」と、キャスターが原稿を読み上げたのである。機影がレーダーから消えたという事実だけを述べ、それが何を意味するか伝えない速報が事故の重大性を暗示し、不気味に感じたのを覚えている。高校生だった私はレーダーの故障じゃないのかなどと考えもしたが、レーダーの故障がニュースになるはずはなかった。

その後、NHKは臨時報道番組に切り替わり、他局もニュース速報を流していた。午後7時半頃の段階では「機影がレーダーから消えた」、「連絡を絶った」、「ジャンボ機が行方不明」など、墜落とも、不時着とも、空中分解とも言わぬ不気味なニュース速報であった。これでは意味するところがわからない。ハイジャックと誤解する人もいるだろう。しばらくして、NHKでは、最悪の場合、墜落が考えられます。どこかに不時着している可能性もありますと付け加えていた。

山に飛行機が墜落、炎上するのを見たという住民の通報、山の斜面が炎上しているという米軍の情報が集まるにつれて、各局の表現は「墜落」に変わっていった。

NHKの「ニュースセンター9時」では、日航が貼り出した乗客名をひとりひとり画面に映しながら、読み上げていた。手書きで書かれたカタカナの氏名、年齢、乗客509名、乗員15名である。長時間を要していた。乗客名を読み上げる作業を行っている途中、日航の記者会見があるというので、現場の記者が記者会見の方にカメラと音声を切り替えようとしたところ、キャスターの木村太郎氏が制したのを鮮明に覚えている。「視聴者の皆さんがいま一番お知りになりたいのは、誰が乗っていたのか、家族や友人が乗っていないかだと思いますので、乗客名簿の読み上げを続けてください」というようなことを指示していたと思う。

同日、深夜の段階では確かに「乗客乗員、全員絶望か」と報道していた。末尾に「」が付いているところが肝要である。実際には4名の生存者がいたのである・・・。奇跡的といわれていた。

翌日だったか、翌々日だったか、高校野球の試合中にも画面の一部(左端だったと思う)を使って、身元の判明した方の名前を映し出していた。

私はこの事故に大きな衝撃を受けた。操縦ミス以外でジャンボ機が墜落するというのが信じられなかったのである。この事故は色々な人に影を落としている。

科学史研究者の佐々木力氏は講談社学術文庫版『科学革命の歴史構造(上)』の冒頭をこんな文章ではじめている。

『科学革命の歴史構造(上)』(佐々木力著) 1995年10月発行の講談社学術文庫版への序文

 本書『科学革命の歴史構造』の初版の上巻は1985年7月10日に、そして下巻は同年8月14日に、岩波書店から刊行された。下巻を岩波書店の社屋で受け取って宮城県の郷里に旅立ったのは8月12日のことであったが、ちょうどその日の夕刻、あの日本航空の羽田を飛び立った大阪行きの国内便は墜落したのだった。そのような記憶が、この書物にはまとわりついているのである。

事故後しばらくして伝わってきたが、私の遠い親戚もこの事故で命を落とした。会ったことはないのだが、従姉妹の配偶者の叔父夫婦とその子息だから7親等~8親等ということになる。夏休みが明けると、同じようなことを言っている同級生は少なくなかった・・・。

事故の原因は、後部圧力隔壁が破壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統が損壊して、操縦不能になったこととされている。しかし、圧力隔壁が破壊したのなら、機内の急減圧があるはずだが、急減圧は起きていなかったという説が根強く、結局のところ腑に落ちないままである。

100%の安全は技術では達成できないと考えるべきなのか。

年が明けて、1986年1月28日にはスペースシャトルのチャレンジャー号が打ち上げ直後に爆発し、1986年4月26日には旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所が史上最悪の事故を起こした。

これら3つの事故は、理系を志す高校生だった私をずいぶん陰鬱にさせた。

高校で習う数学や物理は答えが一つ、間違うことはない。完璧な体系である。それを技術に応用するプロセスで、何らかの完璧でない部分が生じるのか。あるいは、人間はミスをするものだからなのか・・・。

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