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2008年2月23日 (土)

「姫路モノレール」の追憶

今日の産経ニュースによると、昔、廃止された「姫路モノレール」が一般公開されるそうである。記事 「姫路モノレール」一般公開へ 巨大なお荷物、一転、鉄道マニアの聖地に

これまでは、いくら要請しても、この過去の遺物を見学されてもらえなかったのだった。

姫路モノレールは、サイト「麗しの姫路モノレール」に詳しいが、とにかく姫路市により昭和40年代に採算をまったく度外視した経路に建設され、赤字のため、直ちに廃止された代物である。今でも軌道の一部が残り、車両は封鎖された手柄山公園駅に眠っている。

手柄山で開催された「姫路大博覧会」にあわせて、昭和41年(1966年)5月17日に開業、その翌年の昭和42年8月には「姫路市モノレール対策審議会」が設置されて、もう廃止が検討されたという。路線は、姫路駅と手柄山間の1.6 kmだったが、そもそも手柄山に用のある人がそんなにいるはずもなく、採算がとれるはずはなかった。手柄山は標高49.3 m、山と言うよりは小高い丘である。モノレールの手柄山駅はその中腹にあった(今でも廃駅がある)。昭和49年(1974年)に休止、昭和54年(1979年)に廃止となった。1976年の交通公社の時刻表には、姫路モノレールの欄があり、時刻表は空白で「休止中」とだけ記載があった。

友人に話すと、すごくうらやましがるのだが、私はこの姫路市営モノレールに乗ったことがある。抱っこされて車内に入り、座席に一人で座らされたから、3歳前後の頃だと思う。幼い印象としては、車内の雰囲気はバスに似ていて、電車とは違った感じだった。私が乗ったときは車内は混雑し、エアコンがなくて暑く、停車中は暗かったので、ぐずりかけていたのだったが、出発すると視界が開けて明るくなった。記憶があるのはそこまでである。

Photo_2 私の生家はモノレールの軌道から比較的近い場所だったので、幾度となく、モノレールが走っているのを見たことがある。ブルーのデザインが印象的な車両だった。いつもは2両編成なのだが、休みの日には4両編成になることもあり、壮観だった。羽田空港と浜松町を結ぶモノレールと同様、コンクリート製のレールをまたいで走る跨座式(こざしき)だった。羽田空港のモノレールの場合は、ゴム製のタイヤでコンクリート上を走るので、騒音はそれ程しないのだが、姫路モノレールはコンクリートの上にさらに鉄製のレールを敷き、その上を鉄の車輪で走るロッキード式と呼ばれる方式のものだったので、遠方の方まで、カランカラン、カランカランと軽快な音を響かせていたように思う。 画像は設計図(著作権法第32条2項に基づき引用)

モノレールが正式に廃止された1979年頃のこと、モノレールの軌道が腐食して、鉄製の部品が道路に落下、通行人が怪我をしそうになったとか、クルマが傷ついたとかニュースになったことがある。レールを撤去するにも予算がかかる、まさに負の遺産だというタッチの報道だった。そんなことがあったため、モノレールのレールのうち、道路上、特に歩道上にある部分だけが優先的に撤去された。新幹線の車窓から、途切れ途切れになったモノレールを見て、奇異に思う人が多いらしい。「あの部分を飛んで走ってたのかと思いました」という人もいるが、危ない部分から撤去された結果である。

下写真は、国土交通省提供の昭和49年(1974年)の姫路駅西側の航空写真である。下を左右に貫いている高架が山陽新幹線、走行中の新幹線車両まで映っている。そのすぐ上が国鉄(現JR)山陽本線の姫路駅。山陽本線から左下の方に分岐する単線が飾磨港線(1986年廃止)。そのまた上に映っている目立つ駅は山陽電鉄姫路駅。姫路市営モノレールの軌道は余り目立たないが、山陽電鉄姫路駅と国鉄姫路駅の間の道路沿いに見える。高架になっている山陽電鉄の軌道の上を跨いで、西進した後、南下して、山陽新幹線の高架の下をくぐっていた。航空写真でもわかるが、モノレールはかなり省スペースな乗り物である。このあたりは鉄道とモノレールと道路橋が錯綜していた。

1974himeji_4 

この姫路市営モノレールの立役者は、当時の姫路市長、石見元秀氏である。終戦直後の昭和22年から20年間市長を務めたが、昭和42年に現職で落選している。落選した一因は、このモノレールにあったらしい。この市長、妙ちくりんな建築物が好きだったらしく、名古山霊園に仏舎利塔を建てたり、公立中学校の体育館をへんてこな構造にしたりと派手にお金を使ったらしい。当時は、公共事業がムダだと批判される機運もなかったのだろう。今は建て替えられたと思うが、以前、姫路市立大白書中学校の体育館は壁が斜めに大きく傾いた変な構造だった。運動中に平衡感覚がくるって怪我をしそうになると評判が悪かった。

このモノレールの失敗以来、長い間、姫路では公共交通機関の整備が一種のタブーのように扱われているようだ。

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2011年11月3日追記
Ehonhyo1_3  お宝を扱うとうたっている今風の古書店(九州大学箱崎キャンパス付近)で、古い絵本を見つけた。800円の値札だったが、実際は50%引きの400円。その表紙を開くと、初めの頁に在りし日の姫路市営モノレールの雄姿が生き生きと描かれていた。(ひかりのくに昭和出版刊、絵 中島章作、文 新谷峰子、発行日の記載はないが多分1970前後)

 

Ehonmono1_3

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コメント

東京モノレールの原型となったとされる名鉄のモノレールが来月廃止されるそうです。犬山線犬山遊園駅~モンキーパークの極めて短い路線なのですが、老朽化と乗車率の関係で残念ながら廃線となるそうです。
 
どうやら陰には、モノレールの跨るレールの耐震強度の問題もありそうです。そして、そのレールにある2本の鉄製のレールは碍子で支えられており電車のように架線もないので駆動源となっているようです。たまに、ハトやカラスが間違って接触すると激しい音を発するかと思うと落下してきますが、それほどの傷もないのにも関わらず死んでいます。即死です。きっと感電死なんでしょう。
 
その点も、今でさえ老朽化と判断してしまいますが、当時の技術では、画期的でした。前向きに考えれば、その後の地下鉄の第三レールの保護カバー等への足掛かりになったのかもしれません。どちが先だったかは、知識がないので、モノレールが真似してるのかもしれません。
 
ところで、東京モノレールは同型で名鉄が絡んでいるそうですが、導電部はどうなっているのでしょう。まさか未対策なんでしょうか。都心に位置するにも関わらず。と言いながらも、ちゃんと観て確認したことはありません。

投稿: 漂流者 | 2008年2月23日 (土) 10時22分

はじめましてChibinemuです。Mixi訪問ありがとうございます。
(最近の日記は”友人まで”にしているのですみません!)

そうですか!モノレール公開されるんですか!楽しみです。私も少しこの件で書いています。当時はブログではなかったのでトラックバックはできませんが…
http://www.nminato.net/himejimono/main.html

姫路駅の高架工事もあと少し、しかし時間が私の生きている間には実現しないのかと思っていましたが…時は流れていくものですね。
よろしくお願いします!

投稿: Chibinemu | 2008年4月 4日 (金) 12時53分

コメントありがとうございます。

姫路駅の高架工事も、あと少しのようですか。一度、帰省したおりに、行ってみたら、工事途中で変に上ったり降りたりと複雑になってました。

私の実家は、山陽新幹線が姫路に出来たほぼ40年前と、姫路駅が高架駅になる今回とで、2回の立ち退きを経験していまして、高架に関しては感無量です。

最近は車で帰省することが多いので、駅前にはあまり行ってないのですが、だいぶ変わってるでしょうね。

投稿: tsuyumoto | 2008年4月 6日 (日) 00時14分

興味深く読ませていただきました。
姫路モノレール、懐かしいですね。運行休止の直前に私も乗った記憶があります。北口神姫バスターミナルの上にあったジェットコースターの駅のような建物からです。短時間でしたが、未来の乗り物に乗ったんだとしばらくは友人達に自慢していたのを覚えています。
あのシルバーにブルーのラインが入った車両が残っていたとは驚きです。少し先になりますが、公開されたら是非とも見学に行ってみたいものです。
姫路駅が高架になったのですか? 遠方であるのでもう15年も帰省しておりません。この夏がおわったくらいに一度、郷里を訪ねてみようと思います。

投稿: | 2008年8月 2日 (土) 19時51分

はじめまして。
大白書中学校卒業生です。モノレールの話ではありませんが、、
そう、あの体育館!懐かしいです!
壁は斜め、天井はスケボーが出来そうなへんてこりんな体育館でした。2階建てで、1階は理科実験室、音楽室があったような。。。山崎地震の時には、相当揺れましたよ(体育の授業中でした!)でも、あの体育館は、とても有名な建築家の方が建てたと聞いてました。よく観光バスが止まってガイドさんが説明されていたように思います。しかしながら誰だったか思い出せません。
誰だったかな~・・。現在LAに駐在して3年になります。大変懐かしく思いコメントさせて頂きました。モノレールの一般公開も気になります!!

投稿: とも | 2008年9月 9日 (火) 16時03分

とても有名な建築家: 丹下健三 だと思います。

投稿: | 2015年7月10日 (金) 16時15分

モノレールに乗った記憶あります!まだ3~4歳の頃だったので、
ワンシーンくらいしか記憶に残っていませんが・・・

大白書中の体育館は、ともて懐かしいです!
もう今は建て変えられてしまっているので、残念ですね。

投稿: | 2016年5月29日 (日) 20時41分

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