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2008年6月26日 (木)

PCBをめぐる1976年の回想 -新幹線姫路駅のPCB漏れ事故

1976年、ロッキード事件が発覚し、その容疑者邸に俳優がセスナ機で自爆攻撃したと思ったら、今度はソ連のミグ25が北海道に飛んできて不時着し、パイロットが亡命を求めたなどという、不穏な事件が次々と起こった。台風17号は、兵庫県南部で「足踏み状態」となって甚大な被害をもたらし、小学校が1週間近く休みになった(今でも「台風17号」というと、この年の災害をさすらしい)。毛沢東もこの年に亡くなった。

私は小学2年生で、子ども番組が何度も臨時ニュースに変わってしまうのを見て、子どもながらに何か陰鬱なものを感じていたのであった。

■ 姫路駅で新幹線からPCB漏れ事故

そんなとき、自分の身の回りで起きた出来事に、姫路駅付近で新幹線からPCBが漏れるという事故があった。私は雨が降ったとき、新幹線姫路駅の高架下の空き地を遊び場にしていたので、PCBが漏れる事故はまさに遊び場の頭上で起こったのだった。PCBは毒性の高い環境汚染物質である。

当時の事故を新聞はこう伝えている。

1976年(昭和51年)6月5日(土) 朝日新聞 夕刊(東京最終版)

新幹線、終日遅れ

姫路付近 変圧器のPCB流出

新幹線は5日の始発から、姫路駅を通る上下線が終日、2~5分遅れた。前夜、姫路付近で「ひかり」の変圧器がこわれて、なかにあった絶縁用のPCB(ポリ塩化ビフェニール)がこぼれ、5日朝までに回収しきれなかったため。

事故が起きたのは4日午後6時50分ころ。東京発博多行き「ひかり13号」が、通過する姫路駅の手前にさしかかったとき、13、14号車の電気系統の故障を知らせる運転台の表示灯がついた。とりあえず岡山駅まで運転、調べたところ、14号車の床下に取りつけてある変圧器がこわれ、中のPCBがこぼれていることがわかり、この列車は同駅で運転を打ち切った。

こぼれたPCBは変圧器に入っている量の2割にあたる約90リットルで、姫路駅をはさんだ約1.4キロの区間と岡山駅構内にとび散っていた。国鉄は列車の運行が終わった5日午前零時ごろから、よごれた砂利の回収やまくら木の掃除などをしたが、始発時間までに終わらなかった。このためPCBがこぼれた姫路駅構内の通過線線路をビニールで覆って、拡散を防ぐとともに、5日の同駅を通る列車は始発から下り通過線を使わず、上り通過線か停車用線路を通した。

この影響で、列車は同駅で徐行、または臨時停車したため、軒並み2~5分遅れるほか、車両のやりくりの関係で博多発新大阪行き「こだま394号」が運休する。

ビニールで覆われた姫路駅構内のよごれた砂利は5日深夜に回収される予定。

東京版なので新幹線の遅れがメインの扱いになっているが、神戸新聞など地元メディアはもっと大きな扱いだったと記憶している。漏れたPCBが90リットルとは大量である。

新幹線で東京方向から来ると、姫路駅に着く直前、すぐ左下に児童公園(南駅前町公園)が見える。この児童公園が、私たちの晴天時の遊び場所だったのだが、雨が降ると、新幹線の高架下に入り、空き地で遊んでいた。柵はあるにはあったのだが、子どもでも簡単に乗り越えられる柵であった。

高架上から伸びる雨どいから、大量の雨水が流れてくるのが面白くて、その水を使ってよく泥んこ遊びをしていたのである。幸いなことに、のどが渇いても、その水を飲んだりすることはなかった。これは当時、小学生の間で、雨水を飲むと白血病になるという都市伝説が流れていたためであった(もちろん根拠のないデマだが、このデマのおかげで、私はPCBに汚染された水を飲まずにすんだともいえる)。

ちなみに、私がよく遊んだその高架下の空き地は、いまパチンコ屋になっている。児童公園のすぐ向かいがパチンコ屋というのも妙な取り合わせだが、土地柄だろう。

このPCB漏れの事故があってからも、あほな私たちは、しばらく梅雨空の中、高架下で遊んでいた記憶がある。しばらくすると、柵がしっかりした有刺鉄線に変わって入れなくなり、雨どいも雨水に触れないように頑丈なカバーが取り付けられた。

こんな話を、同僚の環境化学の研究者にすると、肝臓を試料にくれだとか、血液を調べてあげましょうかと冗談半分で言われる。今のところ健康には異常がない。

PCBの一件はこれで終わりではなかった。

■ PCBで汚染された砕石が近所に埋められた

PCB漏れの事故があって、2年ほど経ったときのこと。夕刻、自宅にいると外がガヤガヤと騒がしい。隣町の南豊沢町の人たちが三々五々、私たちの住む北豊沢町(現在の南駅前町)の家を訪れて、こう詰め寄った。

「PCBゆう毒が北豊沢に埋められとるいう話やないか。勝手に北豊沢が了解したんか?そんなもん漏れたらこっちにも来るんやさかい、南豊沢にも言うてもらわな困るやろ」という趣旨であった。新聞記事で知ったという。

しかし、北豊沢にも初耳だったのである。「そんなもん聞きはじめや(播州弁で初耳の意)。ここらの自治会長は、Hはんや。Hはんやったら何か知っとるやろ」ということになり、南豊沢、北豊沢の人たちがそろって、ぞろぞろとHさんの家に向かったのであった。

HさんはPCBが埋められたことを知っていた。推定するに、当時の国鉄から何らかの打診があったときに、ノーと言わなかったのであろう。後日、順序が逆ながら、国鉄側のPCB埋設に関する説明会が行われたのであった。

私は小学生だったので、そんな説明会には参加しておらず、詳細な内容はわからないが、コンクリートでしっかり作って大丈夫なようにしてあるという話だったらしい。「コンクリートがひび割れ起こしたらどないするねん。ほんまに大丈夫か」といろいろ指摘があったそうだが、もう埋められているものはどうしようもなかった。

近所に、井戸を使っている家があったのだが、近所にPCBを埋めるので、念のために井戸の使用をやめてくれと国鉄が要請したと聞いた。

私は正確な位置は知らないが、PCB汚染物は姫路駅付近の新幹線高架下に埋められているらしい。

PCB汚染物は、最終処分(永久に埋め立て)ではなく、処理技術が完成するまで一時的に保管するという扱いになっている。そもそも廃棄物最終処分場でもない新幹線高架下に永久に埋めることはできない。しかし、いわゆる遮断型最終処分場と同レベルの高い管理水準、安全性が求められるのは言うまでもない。既に約30年が経過しているが、コンクリートは劣化していないか、埋め立て場所からPCBが周辺土壌に漏出していないか、非常に気にかかるところである。

腑に落ちないこともある。

PCB廃棄物を保管している事業所は、PCB特別措置法に基づき届出が義務付けられている。どこにPCB廃棄物が保管されているかは、国民に公開されていて、下記の環境省のHPから検索できるようになっている。

「PCB特別措置法に基づくPCB廃棄物の保管等の届出の全国集計結果について」http://www.env.go.jp/recycle/poly/hokan/index.html の中の「PCB保管・使用事業場検索」をクリックすると検索画面。

しかし、この環境省のHPで検索しても、新幹線姫路駅高架下に埋められたPCB汚染物が出てこないのである。PCB特別措置法における「保管」の扱いではないのか。では、いったいどういう扱いなのか。(※姫路新幹線保線区の名前でヒットするものがあるが、駅から数キロあるので場所が違う)

■ PCBが埋められていることは語り継いで忘れないようにするべき

いま、姫路駅は在来線まで高架になり、駅南の様相が30年前とまったく違ってきている。民家のあった場所がホテル、駐車場に変わり、PCBが埋められたことを知る人も少なくなってきている。

知らずに、井戸水をくみ上げて使用する事業所が出てこないとも限らない。

PCBなどは時間が経ったときの方が、漏出のリスクが増えるから、古いことほど、注意して気に留めておくべきである。

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2008年6月19日 (木)

危険なモノを正しく危険と認識できる設計、デザインが必要 小学生が校舎屋上の天窓から転落死に思う

18日午前、東京都杉並区の杉並第十小学校で、6年生の男児が3階建て校舎屋上の天窓から転落して死亡する事故が起きた。算数の授業中、屋上から教室に戻る際、男児が天窓のプラスチック製の半球型カバーの上に乗ったところ、プラスチックが割れ、さらにその下の金網入りガラスも割れて、吹き抜けを1階まで約12メートル落下した。

報道によると、天窓は直径約1.3メートルのアクリル製で、その下の金網入りガラスは厚さ7ミリ。人が乗ることをまったく想定していない設計である。

Dst0806181635013p1 共同通信が配信した写真(引用)を見ると、アクリルカバーは不透明で、真下が1階まで吹き抜けになってることをまったく感じさせないデザイン、設計である。周囲に柵もなければ、危険を知らせる貼り紙もなく、ましてや目視で危険を察知できるわけでもない。

大人でも、休憩時にもたれてしまいそうなデザインだ。

なぜこのような危険なだけでなく、危険を正しく察知できないものを、小学校校舎の屋上に設置したのだろうか。校舎の管理責任が指摘されるのは当然として、このような校舎の設計者の責任も議論されるべきである

危険なものは、それが危険であることを正しく察知できるように設計、デザインする義務がある。建築家には、危険であるにもかかわらず、鑑賞性をもたせて、美しくするために、危険を感じさせない外観に設計する人が多い。有名な建築家ほどこの傾向が強いのだが、考えを改めてもらいたい。

強度のない天窓を、人が歩く可能性のある屋上に設置するのは論外だし、小学校校舎に吹き抜けを作るのも疑問である。

私は、建物の中にある吹き抜けが嫌いで、法律か条例で規制すればよいのにと思っているくらいだ。危険であるのに、危険性をあまり感じさせないからである。

私自身、買い物中、一歳児を片腕で抱いてエスカレータに乗り、ふと気がつくとすぐ横が吹き抜けになっていて、肝を冷やしたことがある。エスカレータの横は、5、6階から1階まで吹き抜けになっていることが多い。実際、2004年6月28日には、2歳の男児がショッピングセンターアクタ西宮東館のエスカレータから吹き抜け部分に約10メートル落下し、死亡する事故があった。

建築家は、なぜか好んで吹き抜けを作るが、やめてもらいたいものである。

建て売り住宅を見に行ったときも、「吹き抜けが自慢なんです」と担当者が言っていたことがある。好みの問題かもしれないが、エアコンの効きが悪くなるし、吹き抜けをやめればもう一つ部屋がとれるはずだし、良いところはないのではないかと思う。開放感があるというが、開放感なら屋外で十分である。

前に、東京・丸の内にある東京會舘の12階で行われたあるパーティに出たことがある。パーティ会場を出て、廊下の壁にもたれて、だべっていたのだが、どうも壁の高さが中途半端である。男性の肩くらいの高さ。向こうに何があるのかと、手をつき、身を乗り出して見てみると、12階から1階まで吹き抜けになっていて、一気に酔いが冷めたのであった。後で、1階から見上げると壮観だったが、上から見ると怖いだけである。もう少し壁を高くするか、完全に壁で仕切ってほしいものである。

東京タワーの展望階や、最新のファッションビルで、床がガラス張りになって、その上を歩けるようになっているのを見かける。これは歩いてかまわないように、強度のあるガラスが使われているものだが、ああいうのに慣れてしまうと、今回の事故であったような天窓上を平気で歩くようになりかねない。一般にガラスは強度のないものと認識させる環境が必要であろう。

建築物に限らず、外観上、危険性を感じさせない危険なものは、危険そうに見える危険なものよりも、危険である。刃が白で柄がピンクのかわいいセラミックス製の包丁が売られているのを見たことがあるが、使用時には普通の包丁より注意を欠きそうになる。

外観、デザインより安全性を優先したいものである。

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2008年6月 3日 (火)

「最小時間の原理(フェルマーの原理)」と「最小作用の原理」

物理法則の中には、人類の世界観や哲学にまで影響を与えるものがある。

「フェルマーの原理」や「最小作用の原理」がその代表例である。これらの法則は一見、神秘的な不思議さをもつので、18世紀中頃にはイデオロギー論争まで巻き起こした。これらは純粋に数学的、物理的な原理に過ぎないのだが、その不思議さゆえ、背景に神学的な観念を見いだそうとする人々がいた。

■ フェルマーの原理(最小時間の原理)

真空中の光速は3.0×108m/sだが、物質中を通過するときの光速は、物質の屈折率で真空中の光速を割ったものになる。空気の屈折率は1だが、水の屈折率は1.33なので、水中を光が通過するとき、光速は真空中の1.33分の1、ほぼ75%まで減っている。

さて、空気中のA点から、水中のB点まで光が進むことを考える。よく知られているように下図の実線のように、境界面にあるC点で少し折れ曲がって、B点に到達する。C点でこういう折れ曲がり方をするのは、水と空気の屈折率が異なるためである。

それぞれの入射角のsinをとったものの比が、それぞれの屈折率の逆数の比に等しいというスネルの法則で角度を求めることができる。

Fermat1

光の進む経路は、上に述べたような計算で求まるのであるが、この経路は実は他の経路、例えばAからBまでまっすぐ直線で向かうだとか、A→X→Bの順で向かうだとかのどんな他の経路よりも、必ず早く着くようになっている。光は水中で遅く、空気中で速いので、水中を進む距離はできるだけ短い方がいいが、かといってあまり短くすると空気中の距離が長くなりすぎて、逆に時間がかかる。この2つがちょうどよいバランスになって、最小時間となったのが、実際の経路である。まるで、光は最小時間となる経路を探し当てたかのように、最小時間となる経路を進む

光がそんなことを考えながら、つまり経路を探索しながら、進むのかという点がポイントである。

私は高校時代、この話を聞いたとき、隣席の友人と、「光がそんなことを考えながら進むんかいな?」と言い合った記憶がある。

光は別に考えながら進むわけではない。水と空気の境界面で電磁場の強度が連続であるという条件から導き出されるスネルの法則に従って、経路をとれば、それが最小時間の経路だったというだけである。つまり、直線XC上に様々な通過点を考えて、AからBまでの所要時間を式にして微分すると、所要時間が極小となる条件式が求まる。この条件式が、スネルの法則の式と同じになるということだ。普通は、このように説明される。

しかし、量子力学的な見地からは、光は経路を探索しながら進んでいるという見方が可能である。光はすべての可能性のある軌道を試してみるのだが、実際の軌道以外の軌道同士は互いに打ち消しあうので、実際の軌道だけが残る。スリットを通過する波を考えたとき、スリットが狭い方が、スリット通過後の拡がり角が大きくなるのもこれが理由である(狭いと打ち消しあう割合が少なく、広いと打消し合う割合が多い)。(『ファインマン物理学第2巻 光、熱、波動』 1章)。

これは光の話だから、量子力学的に考えるのなら、こういう解釈もありかなと理解できる。大きな物体が運動するときに似たような法則があったとしたら、どう考えればよいのだろうか・・・。

■ 最小作用の原理

『ファインマン物理学第3巻 電磁気学』(岩波書店)の巻末には、ファインマンの特別講義を「大体話した通り」に収録した<補章>が存在する。「これは"余興"のつもりである」という前置きの後、『最小作用の原理』について講義がなされている。

ファインマンは講義の冒頭

私がハイスクールのとき、物理の先生 -Bader先生- があるとき物理の講義のあとで私をよんで言った。’君は退屈しているようだ。少し面白い話をしてやろう。’先生は少し話をしてくれたがそれは私にとって全く魅力的であって、それ以来ずっと魅力を感じている。その主題が出てくるたびに、私はやってみる。事実この講義を用意し始めたとき、いつのまにかこの問題についてさらに分析を進めていた。講義のことなんか忘れて、新しい問題にとりくんだ。その主題がこれ -最小作用の原理- である。

と述べている。ファインマンはノーベル物理学賞を受賞したほどの人なので、ハイスクールの物理の授業のときに退屈していたというのも、うなずける。さらに、ファインマンの研究業績の多くは、最小作用の原理を使ったものだが、これがハイスクールのときに聞いた面白い話しがきっかけになり、基礎になっているというのが面白い。

多くの科学者がフェルマーの原理に触発されて、似たような原理が力学的運動にもあるはずではないかと必死に探索を行っていたところ、同様な考え方をする原理が、オイラーやモーペルテュイといった天才たちによって発見されたのである。それが「最小作用の原理」である。

物体を投げたときの運動でも、振り子が揺れる運動でも何でもいいのだが、物体がA点からB点まで、ある時間をかけて移動したとする。さらに、A点からB点まで同じ時間をかけて移動する他の経路を仮想的に考える。

「運動エネルギー - 位置エネルギー」 の値を、A点からB点までの時間で積分した数値を求めると、この値は実際の経路が、仮想的な他の経路よりも必ず小さくなっている。これが「最小作用の原理」である。「運動エネルギー - 位置エネルギー 」 を時間で積分したものを、「作用」と呼んでいるので、「最小作用の原理」とよばれる。

物体が実際に通る経路は、「運動エネルギー - 位置エネルギー」の時間積分が最小(極小)となる経路であるということは、ニュートンの運動方程式 F = ma と等価である。「運動エネルギー - 位置エネルギー」をラグランジアンと呼ぶが、ラグランジアンが一般的にこの形をしているわけではなく、ニュートンの運動方程式のラグランジアンが「運動エネルギー - 位置エネルギー」の形をしているというのが正確である。

なぜこうなるのか、こういう原理が存在するのかについて、理解するには、変分原理(オイラーの方程式)、部分積分(これは高校で習う)が予備知識として必要である。

ここら辺の話は、『解析力学』の名前で出ている専門書に詳しい。「解析力学」は、以前は地味な学問分野だったらしいが、量子力学の登場とコンピュータの発達で、最小作用の法則を用いた計算がふんだんに行われるようになって、華やかな分野に成り代わった。

ちなみに、『ランダウ・リフシッツ 理論物理学教程 力学』(東京図書)は力学の教科書だが、いきなり1巻の冒頭から最小作用の法則の説明で面食らう。普通の力学の教科書と異なり、運動方程式の説明が、最小作用の法則で導入されている。少なくとも初学者向けではない。

■ 最小発熱の原理

以上の法則の類型で、最小発熱の原理が存在する。不均質な物質中を電流が流れるとき、発生するジュール熱が最小となるように電流が分布するというものである。

この法則を使って、多相系の電気伝導率、特に金属・絶縁体混合物に見られるパーコレーションなどを説明できないものかと考えている。

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