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2008年6月19日 (木)

危険なモノを正しく危険と認識できる設計、デザインが必要 小学生が校舎屋上の天窓から転落死に思う

18日午前、東京都杉並区の杉並第十小学校で、6年生の男児が3階建て校舎屋上の天窓から転落して死亡する事故が起きた。算数の授業中、屋上から教室に戻る際、男児が天窓のプラスチック製の半球型カバーの上に乗ったところ、プラスチックが割れ、さらにその下の金網入りガラスも割れて、吹き抜けを1階まで約12メートル落下した。

報道によると、天窓は直径約1.3メートルのアクリル製で、その下の金網入りガラスは厚さ7ミリ。人が乗ることをまったく想定していない設計である。

Dst0806181635013p1 共同通信が配信した写真(引用)を見ると、アクリルカバーは不透明で、真下が1階まで吹き抜けになってることをまったく感じさせないデザイン、設計である。周囲に柵もなければ、危険を知らせる貼り紙もなく、ましてや目視で危険を察知できるわけでもない。

大人でも、休憩時にもたれてしまいそうなデザインだ。

なぜこのような危険なだけでなく、危険を正しく察知できないものを、小学校校舎の屋上に設置したのだろうか。校舎の管理責任が指摘されるのは当然として、このような校舎の設計者の責任も議論されるべきである

危険なものは、それが危険であることを正しく察知できるように設計、デザインする義務がある。建築家には、危険であるにもかかわらず、鑑賞性をもたせて、美しくするために、危険を感じさせない外観に設計する人が多い。有名な建築家ほどこの傾向が強いのだが、考えを改めてもらいたい。

強度のない天窓を、人が歩く可能性のある屋上に設置するのは論外だし、小学校校舎に吹き抜けを作るのも疑問である。

私は、建物の中にある吹き抜けが嫌いで、法律か条例で規制すればよいのにと思っているくらいだ。危険であるのに、危険性をあまり感じさせないからである。

私自身、買い物中、一歳児を片腕で抱いてエスカレータに乗り、ふと気がつくとすぐ横が吹き抜けになっていて、肝を冷やしたことがある。エスカレータの横は、5、6階から1階まで吹き抜けになっていることが多い。実際、2004年6月28日には、2歳の男児がショッピングセンターアクタ西宮東館のエスカレータから吹き抜け部分に約10メートル落下し、死亡する事故があった。

建築家は、なぜか好んで吹き抜けを作るが、やめてもらいたいものである。

建て売り住宅を見に行ったときも、「吹き抜けが自慢なんです」と担当者が言っていたことがある。好みの問題かもしれないが、エアコンの効きが悪くなるし、吹き抜けをやめればもう一つ部屋がとれるはずだし、良いところはないのではないかと思う。開放感があるというが、開放感なら屋外で十分である。

前に、東京・丸の内にある東京會舘の12階で行われたあるパーティに出たことがある。パーティ会場を出て、廊下の壁にもたれて、だべっていたのだが、どうも壁の高さが中途半端である。男性の肩くらいの高さ。向こうに何があるのかと、手をつき、身を乗り出して見てみると、12階から1階まで吹き抜けになっていて、一気に酔いが冷めたのであった。後で、1階から見上げると壮観だったが、上から見ると怖いだけである。もう少し壁を高くするか、完全に壁で仕切ってほしいものである。

東京タワーの展望階や、最新のファッションビルで、床がガラス張りになって、その上を歩けるようになっているのを見かける。これは歩いてかまわないように、強度のあるガラスが使われているものだが、ああいうのに慣れてしまうと、今回の事故であったような天窓上を平気で歩くようになりかねない。一般にガラスは強度のないものと認識させる環境が必要であろう。

建築物に限らず、外観上、危険性を感じさせない危険なものは、危険そうに見える危険なものよりも、危険である。刃が白で柄がピンクのかわいいセラミックス製の包丁が売られているのを見たことがあるが、使用時には普通の包丁より注意を欠きそうになる。

外観、デザインより安全性を優先したいものである。

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コメント

・・・申し訳ないが、設計当初そこに子供は立ち入らせないスタンスで設計がなされたらしい。

教育委員会もそれを認めている。

子供が立ち入る目的の二階屋上には、キチンと天窓付近に柵が設けられていたのが、ヘリの映像に写っていた。

投稿: | 2008年6月20日 (金) 18時47分

上のコメントで若干の間違いがあったので訂正。

ttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080620AT1G1904S19062008.html

認めたのは、区側でした。

投稿: | 2008年6月20日 (金) 19時03分

子供が立ち入らない場所として設計したからといって、このような大きなリスクを放置しておくことが良いとは思えません。

たとえば写真で天窓のすぐ横に空調設備が見えます。これを修理に来たエンジニアはすぐ近くにいることになります。
エンジニアなら気付くのが当然?いやいや事故防止とはそのような考え方で行うものではありません。何かのきっかけで、例えば教師が児童を引率して空を見ようとやってくる可能性もあります。

人間はミスをします。フェイルセーフ、フールプルーフはもはや設計の常識でしょう。

投稿: Zinc in Osaka | 2008年6月21日 (土) 00時30分

とりあえず、本件で設計者は学校側に対し、「児童が立ち入ることはない」といわれてたのだから、児童の事故に対して責任を要求することは必要ないと思います。

児童以外のものに対する配慮としての安全対策義務もあったとはいえ、最終的にそれを設置するかどうかは学校等が決めることで、提案する程度の権限しか有しないであろう設計者に責任を問うのはこちらもあまり合理的ではないように思われます。

投稿: | 2008年6月25日 (水) 16時59分

設計者と行政担当者の間で、「児童が立ち入ることはない」という点を確認しあっていたようですが、年月が立ち、当時の行政担当者もいなくなったり、建築当時の申し合わせを気に留めている校長も代替わりしたりすると、そんな申し合わせなど忘れ去られてしまうものです。

何らかの行き違いで「児童が立ち入ることはない」とされていた屋上に、先生の引率で児童が立ち入ることまで、想定しておくべきだったと思います。

または物理的に児童が立ち入れないよう、設計上、階段によるアクセスは避けるべきだったかもしれません。

投稿: tsuyumoto | 2008年6月26日 (木) 01時18分

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» 天窓から小6男児 転落死 [王様の耳はロバの耳]
小6男児転落死 学校屋上の天窓割れ 杉並(産経新聞) - goo ニュース 18日の朝授業の一環として校舎の屋上で歩幅の計測を行っていた杉並の小学校6年生の男児が天窓(に乗り?)それが割れて落下し死亡すると言う気の毒な事故が起きました。 亡くなったお子さんの冥福をお祈りします。          合掌 {/hiyoko_cloud/} 爺は天窓がどんな構造かで学校の責任の度合いが変わるのでないかと思っていたのです。 近頃は建造物の中で透明の強化ガラス板かアクリル板を使って階段の踏み板に仕立てたり床... [続きを読む]

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