« 2008年10月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月30日 (火)

個人的な今年の重大ニュース

その昔、大学生のころ、学生新聞(だったと思う)に「教授の選ぶ今年の十大ニュース」という特集記事があって、「ベルリンの壁崩壊」、「消費税導入」などの項目を挙げる先生がほとんどの中、「家族みんなで温泉旅行」、「息子が引っ越し」など個人的な出来事を上げている先生が一人だけいらした。アンケートの取り方が悪かったのかどうか知らぬが、どちらも十大ニュースにはちがいない。ここに書こうとしている重大ニュースは後者の方である。

■ 新車「日産セレナ ハイウェイスター」購入

1999年からトヨタ「ラウム」に乗っていたが、車検も3回やったし、走行距離も10万キロを超えたし、塗装もはげてきたしということで、クルマを新しくした。カーナビ付きで総額約285万円である。今、乗っているが、高めで、かつよく売れているクルマは伊達ではなかった。7人乗りだが、3列目のシートも普通に広いし、見晴らしがよく、2歳の子どもがチャイルドシートに座るのを嫌がらないようになった。

車格が違うので比較しにくいが(ラウムは1500cc、セレナは2000cc)、ラウムは運転しているとフワフワフワフワした乗り心地だったが、セレナは足がしっかりと安定している。どっちが好きかは好みの問題ではある。高速道路を走ると時速90キロで走っているトラックを追い越すことが多いのだが、ラウムだと90キロから100キロに加速するのにかなりの時間がかかり、追い越し車線でバッシングされることもしばしばだった。セレナだと90キロのトラックはスムーズに追い越すことができる。

トヨタのヴォクシー、ノア、アルファードなども考えてみたが、トヨタのミニバンは全て後部座席の床面が少し高くなっていて、足の置き心地がよくないのである。狭いところで座面の低いイスに座らされている気分である。長距離乗るのは耐えられないということになった。あれは何とかならないものだろうか。

また、プリウスは低速走行時にエンジン音が出ず、歩行者の後ろから接近した時に気付かれにくいので却下した。普通の車で路地を走るとよくわかるが、歩行者は普通、後ろから接近するエンジン音に無意識のうちに対処しているものである。実際、私は自分のすぐわきを後ろから、プリウスにすり抜けられたことが何回もあって、燃費がいくらよくても、歩行者を驚かせる(場合によっては接触してしまう)車はダメだろうと考えるようになった。騒音はよくないが、歩行者に接近するときに何らかのシグナルは必要である。

最後まで候補に残ったのは、トヨタ「ウィッシュ」、ホンダ「ステップワゴン」、日産「セレナ」であった。ウィッシュは3列目が狭いので、候補から消えて、最後はステップワゴンとセレナの二つで迷った。衝突安全性の試験結果(国土交通省のページ)はステップワゴンの方が少し良かったのである(ホンダは安全性がいまいちという印象を持っていたので意外だった)。結局、車内からの見晴らしがいいという理由でセレナを選んだ。どの販売店の営業担当もそうだったが、衝突安全性への関心がほとんどなかったのが困ったところである。

ちなみに、セレナを購入した(株)日産サティオ石川なのだが、9月に倒産するというオチまでついた。自動車の販売店が倒産すると、そのメーカーの自動車のブランド性、信用性にかかわるので、メーカーが資金援助して倒産させないのが普通と聞いていたが、日産はそうでもないらしい。

■ 同級生の突然死

中学、高校と同級生で(中高一貫校なので中学の同級生は高校でも同級生である)、大学でも一緒だった友人(I君)が今年の8月に亡くなっていたことを、12月になって知ったのだった。40歳、前厄の年だった。いわゆる「心臓突然死」で、あまりにも突然の出来事で、ご家族は旧知の友人への連絡のとり方がわからなかったそうで、亡くなった4ヶ月後に訃報を知ることになった。知ったきっかけも、大学時代の友人が「久しぶりに飲みに行こう」と携帯にメッセージを残しても返信がなく、連絡が取れない。それを何回か繰り返した後、ご家族から「8月に亡くなりました」と連絡があったのだった。

それで、遅ればせながら、大学時代の友人7名で、姫路にあるI君の実家を弔問してきた。東京から4名、大阪から2名、金沢から1名(私)である。「このメンバーが集まったら、必ずいるはずのあいつがいないんだよ」とO君が言った。

霊前に焼香した後、在りし日のI君を偲んだ。

ショックを受けたのは、前から心臓を病んでいたわけではなく、体型も標準で4日前までサッカー観戦やら飲み会にでかけて、普通に生活をしていたということであった。健康体そのもので職場から健康優良の表彰を受けていたという。中学、高校も皆勤賞であった。体が丈夫なことを自負していたを覚えている。血圧が少し高いとは言っていたらしい。亡くなる日に体調不良で会社を早退、翌日、出社せず、連絡も取れないことを不審に思った会社の同僚に自宅マンションで亡くなっているのを発見されたという。

弔問後、「姫路城に昇らねばならぬ」ということで、姫路城の天守閣まで昇ってきた。相変わらず急な階段だった。I君の母校ってどれ?と聞かれたので、「あれがI君(と私)の母校の淳心学院」と天守閣から母校を見下ろして指さした。

姫路城周辺は3階建てより高い建物は建てられないので、母校も含め周辺の建物は3階建て以下になっていることやら、姫路城は標高46メートルの姫山という山の上に建っているのでそびえるように見えること、城周りの内堀以外にも、国道2号線沿いに見える高さ1m程の石垣が中堀の跡で、姫路駅は外堀を埋めて作られたこと、中堀の石垣沿いには昔、木造民家が並んでいたこと、「姫路市本町68番地」という住所が姫路城一帯の広い地域を表す住所として使われていて、68番地以下の枝番がなかったのでかなり不便だったこと(一つの番地で国内最大世帯数だった)、デパートはヤマトヤシキと山陽百貨店の二つしかないこと、姫路市立美術館のレンガ造りは美術館のために建造したのではなく前は市役所で、その前は陸軍第10師団の兵器庫、被服庫で、明治時代の建物であること、大手前公園は昔、練兵場だったので年配の人は今でも「練兵場」と呼んでいること、太平洋戦争のとき姫路は大きな空襲に遭ったが姫路城だけは無傷で残ったこと、などをつらつらと案内した。

弔問に集まった7名、ほとんどが十数年ぶりに会う人たちで、久しぶりのプチ同窓会のような雰囲気で旧交を温めることができた。これもI君が引き合わせてくれたようなものだと思う・・・。

I君の御冥福をお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2008年10月 | トップページ | 2009年1月 »