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2011年2月11日 (金)

『ノルウェイの森』再訪

先日、時間を作って映画『ノルウェイの森』を見に行った。石川県では金沢フォーラスの一館で夕方17:30からの上映のみになっていた(2月11日まで)。観客は20名弱、カップルは半分ほど、あとはお一人様。

村上春樹の原作小説を読まずに、この映画を鑑賞しても、感じるものは少ないのではと思った。以下は思いつくままに雑感・・・・・・・。

私が原作の『ノルウェイの森』を読んだのは1988年のことである。周囲にいた3名の友人に薦められてだった。手元に残してある単行本は上下巻とも1988年8月5日第18刷発行(1987年9月10日第1刷発行)で、まだ消費税がない時代、一冊定価1000円だった。金色の帯が付けてあり、

上巻には、「いい尽くされた言葉より 心に残る この物語を・・・・・・」、

「この小説はこれまでに僕が一度も書かなかった種類の小説です。そしてどうしても一度書きたかった種類の小説です。これは恋愛小説です。ひどく古ぼけた呼び名だと思うけれど、それ以外にうまい言葉が思いつけないのです。激しくて、物静かで、哀しい、100パーセントの恋愛小説です。  村上春樹」

下巻には「静かに、そして激しく 哀しみの余韻 再び・・・・・・・」、

「彼らの求めたものの多くは 既に失われてしまっていた。もうそこから進むこともできず、戻ることもできない、暗い森の奥に永遠に・・・・・・・・・。限りない喪失と再生を描く 今いちばん激しい100パーセントの恋愛小説。」。

この帯にも歴史があって、初版はカバーと同じ色のものがつけてあったが、途中で金色に変わったそうだ。

上巻は赤一色のカバー、題字だけ緑色。下巻はその逆、緑地に赤い題字。「赤一色」のデザインはいろんな意味で出版社が嫌がるものらいしいが、作者の村上春樹氏の意向でそういうデザインに決まったという。いわゆるクリスマスカラーである。どこの書店に出かけても、これでもかというくらい平台にうず高く積まれていた。

原作の小説は「僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。」で始まる。作者が18年前のことを回想するシーンである。37歳、18年前のこと・・・、小説を読んだ頃には想像しにくいタイムスケールだったが、もう小説を読んでから22年も経ってしまった・・・。

『ノルウェイの森』にはゴシック体で書かれた文が一つだけ存在する。前後に1行余白をとった上で、

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

と記されている。主題の表現として、すごくわかりやすい。

このゴシック体の文、単行本だと右頁の途中に登場するのだが、文庫本だと右頁の冒頭にいきなり登場する。冒頭だと余白の有無がわかりにくいし、ゴシック体が冒頭にあるとタイトルのようである。単行本のように、頁の途中に登場してこそ、このゴシック体が生きてくるなと思った。

作者自身が「100パーセントの恋愛小説」と記しているけれども、この小説の読後感は、太宰治の『人間失格』を読んだ時のそれに似ていた。夏目漱石の『こころ』を読んだ時にも似ていたかもしれない。とにかく人が次々と死んでいく、自殺で。当時、ニュースステーションに出てた小宮悦子が、何に対するコメントだったのか忘れたが、「最近、若い人によく読まれている小説で次々と人が亡くなっていくのがあって・・・」と驚いたことを語っていた。時期的に『ノルウェイの森』だったのだと思う。

小説の題名『ノルウェイの森』は、ビートルズの"Norwegian Wood"からきている。ビートルズの曲名は原題通り"Norwegian Wood"と記されていることもあれば、『ノルウェイの森』の邦訳が記されていることもある。

"Norwegian Wood"を『ノルウェイの森』と訳すのは誤訳で、正しくは、ノルウェイ材、すなわちノルウェイ産の木材、ノルウェイ材でできた家具とすべきであるという説がある。ビートルズの曲が出回った頃から話題になっていたのだが、小説『ノルウェイの森』がベストセラーになったときに、この議論が再燃したのである。woodは木であり、森の意味はなく、複数形のwoodsとした場合にのみ森の意味があるからということらしい。

確かに、"Norwegian Wood"の歌詞を見ると、"She showed me her room.  Isn't it good, Norwegian wood?"なので、森ではあまりにも詩的で、木材でないと意味がとれない。しかし、村上春樹自身も『村上春樹 雑文集』の中の小品「ノルウェイの木を見て森を見ず」に書いていたのだが、歌詞に使われた"Norwegian Wood"に正確な日本語訳を当てるのは不可能なことである。言葉には複数の意味があって、それぞれのニュアンスを裏に持つので、曖昧なところが出てくる。両方の曖昧な意味を持っているということでいいのではと思う。

私の愛用する小学館の英和中辞典PROGRESSIVEにはwoodの4番目の意味としてこうある。

4 ((しばしば~s))樹林、森、森林(▼(1)forestよりも小さいもの。(2)「一つの森」をさすのにwoodもwoodsも用いる。このwoodsは((英))では複数扱いであるが、((米))では単数扱いにする) There is a wood(s) near the house.  家の近くに森がある。

woodでも森の意味はあるようである。両方をさしていて、一語への邦訳は不能ということでいいのであろう。

ちなみに"Norwegian Wood"の最後の部分

"So I lit a fire.  Isn't it good, Norwegian wood?"なのであるが、「だから、僕は放火したんだ」と訳して、女性がいなくなったので、ノルウェイ材でできたアパートに放火したことにしている訳詞家もいた。タバコに火を付けたという訳が主流であるが、ドラッグに火をつけたという解釈もある。

上述の村上春樹「ノルウェイの木を見て森を見ず」では、村上春樹氏自身が<ジョージ・ハリスンのマネジメントをしていた会社に勤務していた女性からパーティーで聞いた話>として、"Norwegian Wood"は"Knowing she would"のもじりであるとしている。「彼女と最後まで行けるのを知っていて」の意味である。インモラルな直球的表現ができない時代だったからもじったという説である。

さて、映画『ノルウェイの森』の話に戻る。

菊地凛子は演技派の女優であるが、20歳前後の「直子」を演ずるのは少し無理があるように感じた。心を病んだ直子を演じるのは、はまり役のような気もするが、映画の冒頭、高校の制服を着て、登場した菊地凛子には違和感をもった。

永沢さん、レイコさん、緑は小説を読んだときに持ったイメージそのままの感じであった。

映画では、小説で重要な位置を占める野井戸の話が割愛されていた。落ちると誰にも気づかれなくなる深い野井戸・・・。

映画のエンドロールが出ると、多くの映画では半分以上の人が退席してしまうのだが、『ノルウェイの森』の観客はマナーがいいのか、余韻にひたっているのか、エンディングロールが終わるまで、席を立たない人がほとんどだった。

エンディングロールを見ていると、ビリヤード監修、レコード監修、さらに学生運動監修まで、監修者が表示されていた。時代考証が大事なのであろう。

ロケを行ったと思われる、早稲田大学、神戸大学の寮、六甲学院高校・中学校なども名称表示されていた。

DVDになってから見ようかとも思っていたが、ほぼ2時間邪魔の入らない状態で、大画面の前に身を置いて、どっぷり映画の世界に浸るのもなかなかよいものであった。映画の世界に入り込めるという意味では、DVDでテレビ画面で見るのと、映画館でスクリーンで見るのとでは格段の違いがあった。

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