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2012年7月10日 (火)

大学における実験・実習中の死亡事故

労災による死亡事故はよく耳にするが、大学の研究室などで実験中に死亡事故になるケースは比較的珍しい。それでも何年かに一度の割合で起きており、危険を伴う作業には注意が必要である。全ての事故を把握している訳ではないが、大学の実験・実習中に起きた死亡事故で記憶にあるものを整理してみた。

私の印象であるが、電気が専門の人が感電で、化学が専門の人が爆発でというのは、分母の割には少なく、有機材料を研究している人が感電で、電気・物理が専門の人が爆発や窒息でという例が多い。本来の専門外のモノを、取り扱う時に事故を起こしやすいのではと思う。

■ 大阪大学基礎工学部電子工学科 モノシランガス爆発事故 死者2名(1991年10月2日)

プラズマCVD装置を用いた実験中、シラン(モノシラン)ガスが爆発し、学生2名が死亡する事故が起きた。シランSiH4は還元するとシリコンSiになるので、シリコン薄膜を作る際の原料として半導体製造プロセスではよく用いられている。しかし、シランは空気と触れるだけで発火、爆発する危険なガスである。シランは亜酸化窒素(一酸化二窒素N2O)と混合しても爆発するが、この事故はシランガスのボンベに亜酸化窒素が逆流し、ボンベ内に高圧の爆発性の混合ガスが出来て爆発したものとされている。爆発したガス供給設備では、本来の配管に加えて、パージラインと言う、残留したガスを追い出すための配管が設けられていた。このパージラインは、シラン、亜酸化窒素など複数のガスと共用なので、パージラインを通じて並列つなぎのような状態になっていた。さすがにパージラインを通じて、ガスが逆流することは、前もって予知できていたので、逆流を防止する「逆止弁」が取り付けられていたのだが、この「逆止弁」が劣化し、逆流してしまったのである。

私は、事故当日のニュースでこの事故を知ったが、当日の報道では「行方不明者2名」であった。翌日朝刊では死者2名に変わっていたが、遺体の損傷が激しかったそうである。当時の高圧ガスの監督官庁であった通産省は事態を重く見て、翌年には規制が強化されていた。「役所にしては対応が早いな」と言ってたのを覚えている。

1991年10月3日朝日朝刊

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参考文献
1. 失敗知識データベース 失敗百選で、事故原因が分析されている。
2. 「大阪大学モノシランガス爆発事故調査委員会〈中間報告書〉(抄)」 高圧ガス Vol. 29, No. 9, pp. 604-612

■ 北海道大学工学部応用物理学科 液体窒素酸欠事故 死者2名(1992年8月10日)

低温実験室の準備室で、助手と大学院生の二人が倒れているのが発見され、同大学の病院に搬送されたが、血液中の酸素が欠乏する低酸素血症で死亡した。準備室では、液体窒素用の容器3個の内、1個が倒れて空になっていた。液体窒素を使って、室温を下げようとしているうちに、酸欠状態となって窒息したようである。

この事故に関して、涼むために液体窒素をまいていたと伝わっていることがあるが、それは誤解で、南極から採取した氷河期の氷が、古代の大気組成の研究のための試料として低温実験室に保管されており、冷却装置の故障で貴重な試料が溶けてしまうのを防ごうとしたというのが真相のようである。

助手と大学院生(D1)が亡くなった事故だったが、助手には労災で手厚い補償がなされるのに対して、大学院生にはそのような制度がなく、事故時の補償という点で当時、問題を投げかけた。当時の大学では、助手等教職員の命令で、末端の大学院生が危険な作業を強要されることが多かった状況もあり、色んな視点で話題になった事故だった。

酸素の足りない空気を一呼吸するだけで、倒れてしまうことは覚えておいてほしい。液体窒素をエレベータで運ぶことがよくあるが、万一、停電でエレベータが止まったり、エレベータ内でこぼしたりすると、窒息の危険があるので要注意である。

1992年8月11日読売朝刊

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■ 東京農工大学大学院生が千葉大工学部で実験中に感電死(1994年9月7日)

実験中、院生感電死/千葉大 1994年9月8日読売朝刊
 七日午後八時五十分ごろ、千葉市稲毛区弥生町一、千葉大工学部一号棟一階の実験室で、東京都K市、東京農工大大学院生Fさん(23)が、高電圧実験装置で感電し、意識を失って倒れた。仲間の学生が一一九番通報し、市内の病院に収容されたが、Fさんの心臓は停止しており、死亡した。
 千葉中央署の調べによると、Fさんは五・五キロボルトの高電圧の装置を使って真空状態を作り、物質の分子構造を研究する実験の準備をしていたが、誤って装置に触れたらしい。Fさんは装置の操作に精通しており、千葉大の要請で実験を手伝っていたという。

過失による事故の見方 千葉大での大学院生感電死/千葉 1994年9月9日 朝日朝刊(千葉地方版)
 千葉市稲毛区の千葉大工学部実験室で七日夜、東京農工大大学院生Fさん(23)が感電死した事故で、千葉中央署は八日現場検証を行った。検証の結果から、同署はFさんの過失による事故との見方を強めている。一方、大学関係者の間には「Fさんは装置の操作に習熟しており、信じられない」という声が多い。
 現場検証は同日午後一時から約二時間。実験室の管理責任者である原田義也・千葉大工学部教授らが立ち会った。同署によると、検証の結果から、Fさんが電源から延びるリード線を実験装置の超高真空装置(高さ約二メートル)につなぐ際、
何らかの原因で右手人さし指がプラグに入り感電死した可能性が高いという。
 プラグの内側についたごみと同質のものが付近の床で発見されたことから、ごみを指で除こうとしたとも推測できるが、詳しいことは不明という。
 超高真空装置は、原田教授が今年三月に東大教養学部を退官し、四月から千葉大工学部教授となったのにともない、五月に東大から千葉大に移転した。
 原田教授によると、船木さんはこの実験装置を使って二年ほど前から研究を続けている。取り扱いや感電の危険は熟知しているはずで、「なぜこんなことになったのか全く分からない。私の研究室の学生も同じです」と話す。
 上野信雄助教授によると、Fさんは実験に備えた下準備をしていた。真空状態を発生させるため、電源と装置のスイッチを入れる作業を行っていたらしいが、特別な技術はいらない基本的な作業で教官は付き添っていなかった。通常の手順とは異なることをしたためにFさんは感電したらしいが、なぜそのような動作をしたか、理由はわからないという。
 同実験室で、Fさんと二人で共同研究を続けてきた東京農工大の尾崎弘行講師は「F君は快活な性格。実験熱心で研究者を目指していた。残念でならない」と伏し目がちに話した。


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東京農工大学の大学院生が、千葉大学で実験中に亡くなった事故。責任の所在、管理責任で揉めたことが推測される。一般に籍のある所属先の責任が、大きくなることが多いと聞く。例えば、東京大学の大学院生がKAST(神奈川科学技術アカデミー)の研究室に派遣されて実験を行う場合、事故の際の全ての責任は東京大学に帰すると言う文書を交わすそうである。責任を押し付けあうことになると不都合だから、どちらか片方の責任にするというのを前もって決めておくということらしいが、KASTに法的責任が無いのかと言うとそういう訳ではないだろう・・・。ここら辺のことは、色々調べてもよくわからない。

実験に慣れてきた頃、熟練による慢心が事故を誘発することが多い。一人で漫然と実験をしていると緊張感を欠き、つい気付かぬうちに危険なことを行ってしまうことがある。言い古されたことだが、一人実験は厳禁である。

■ 岐阜大学工学部電気電子工学科4年生 感電死亡事故(1999年10月29日)

実験中に学生死亡 岐阜大工学部 1999年10月30日 中日新聞朝刊
 二十九日午後七時十分ごろ、岐阜市柳戸の岐阜大学工学部の電気電子工学科五一二号教室で、レーザー光線を使った実験をしていた同学部四年、Nさん(21)が
教室の床に倒れているのを、同じ実験グループの学生らが見つけた。Nさんは病院で手当てを受けたが、約二時間後に死亡した。
 岐阜北署の調べでは、Nさんはほかの学生四人と担当教授、助教授とともに、同日午前九時から実験をしていた。レーザー光線をカメラのフラッシュに
利用できないかを研究していたという。午後七時ごろに、全員が休憩のために別室に移動したが、Nさんだけは再び教室に戻った。その約十分
後、大きな音がしたため教室に戻ってみると、Nさんが床にあおむけに倒れていたという。
岐阜市消防本部には大学から「学生が感電した」と通報が入ったが、病院では感電とは断定できていない。遺体に外傷は見られず、同署は三十日に解剖して死因を調べる。

学生感電死 岐大教授ら不起訴 岐阜地検『予見の可能性なし』 2001年12月29日 中日新聞朝刊
 岐阜大学工学部(岐阜市)で一九九九年十月、工学部電気電子工学科四年の男子学生-当時(21)-がレーザー光線を使う実験中に感電死した事故で、岐阜地検は、業務上過失致死の疑いで書類送検されていた担当教授(62)と助教授(40)を不起訴処分にした。
 調べでは、学生は十月二十九日午後七時十分ごろ、研究室でレーザー光線の発振などの実験中に左ひじが実験装置の保護カバーの付いていないコンデンサー端子に、右ひざが皮膜していないアース線に触れ、全身に約三〇〇〇ボルトの電圧を受けて即死した。
 学生が主電源を入れて蓄電した後に放電ボタンを押すなどの正しい操作方法をとらず、床にひざまずいた状態で出始めのレーザー光線を見ようとしていたとみられることなどから、岐阜地検は「マニュアル通りなら事故はなかったと考えられ、教授らが事故を予見する可能性があったとまでは言えない」としている。

現場から無念な思い繰り返すな 実験中の死亡事故から1年 2000年10月29日 中日新聞朝刊

岐大の取り組みレポート 年2回の安全点検 教職員に救急救命講習も
 岐阜市柳戸の岐阜大学工学部の研究室で、電気電子工学科四年生のNさん-当時(21)-が卒業研究の実験中に感電死した事故から、二九日で一年を迎える。初の実験中の死亡事故に、大学は事故調査委員会を設け独自に原因を調べてきた。卒業研究が追い込みに入るこの時期。「無念な思いを繰り返してはならない」と、研究室の安全点検などに乗り出した岐大の取り
組みをレポートする。(報道部・大野孝志)
 事故の翌週、工学部は各学科長ら十人でつくる事故調査委員会を設置。再発防止策を練るため、警察の捜査とは別に原因を究明しようと、実験内容や現場の検証、同じ研究室の学生に話を聴くなどした。調査は昨年末に終わった。
 委員会によると、制御盤でコンデンサーのスイッチを入れたNさんは、自分の実験装置のある場所まで近道をしようと、机の列の下をくぐり抜けた。立ち上がろうとした際、コンデンサーの端子に触れた左ひじから、床についていた右ひざに電流が抜けたようだ。端子には約三千ボルトの電圧がかかっていたとみられる。
 人が通る所にある他の端子には、体が触れる可能性が高いため、あらかじめカバーを着けてあった。しかし野村さんがくぐった先は普段、人が通らない所のためカバーがなかった。
 事故を受け、工学部は一年生の時に配るだけだった冊子「安全の手引き」を使い、卒論研究に入る四年生に講義。教職員には救急救命法の講習も開いた。さらに事故の可能性を極力減らすため、研究室の安全点検に踏み切った。
 点検は年二回。五月と十月、安全環境保全委員会の教授が二人一組になり、講義や実験の合間を縫って行う。機器の周りが整理されているか、薬品庫にカギがかかっているか、事故の際の緊急連絡先が掲示してあるかなど、九つの項目を確認しながら点検する。
 レーザ一光線を使う実験室では、光が人に当たらないように壁が設けてあるか確認した。実験に使うガスボンベには地震でも転がらないよう、大きなストッパーを付けた。
 「地味な仕事です」と委員の教授は言う。しかし、見つかった危険個所が改善されない場合、学部長名でその実験室を使用禁止とする強制力がある。厳しさの背景には「研究室の安全を管理する教授たちに、まず意識を高めてもらおう」との委員の思いがある。
 工学部の落合省三事務長は強調する。「危険な薬品や装置でも、毎日接していると慣れてしまう。さらに、卒業と入学で学生が毎年入れ替わる。事故の記憶を風化させないために、安全点検を毎年行いたい」と。
 岐阜大学感電事故 昨年十月二十九日午後七時十分ごろ、「レーザーガラスの光学特性」という卒論テーマを掲げていたNさんが実験中に死亡した。死因は感電死。他の学生は隣室で休憩していたが、Nさん一人が実験室に戻っていた。大きな音に気づいた学生たちが駆け付け、床に倒れているNさんを発見した。

近道しようと、実験机の下をくぐろうとしたのが不運であった。人がふだん通る通路には高電圧部にカバーがあったが、ふだん人が通らないところにはなかったのである。実験室で、普通、人が立ち入らないような場所に立ち入ったり、ふだん触らない部分を触れたりするのは危険である。東京農工大の事故もそうだが、ふだん触ることを想定していない部分に触れて感電死している例が多い。

また、左手から感電した死亡事故と、右手からの感電死亡事故では、8割が左手からの感電だという統計もある。心臓に近いから致命的になりやすいのか、別の理由なのかはわからない。

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